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特設ページ

フェニックス旭は、横浜市内12番目の中途障害者地域活動センターとして、2000年11月7日二俣川の地で開所しました。
それから20年、利用者の方、ご家族の方、地域の方、支援者の方などに支えられ活動を続けています。
こちらの特設ページでは、20周年にあたっての寄稿文や写真、その他20周年記念企画の事など掲載してまいります。

2021年08月19日
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フェニックス旭20周年によせて ~元フェニックス旭利用者ご家族より~

それは、突然で前ぶれもなく早朝の事でした。クモ膜下出血でした。この日を境に人生は変わってしまいました。今まで会社経営をして家族の中心的な人が、集中治療室で見た時は絶望しかありませんでした。
子供達もショックを隠しきれませんでした。私が「おとうさんと二人で死にたい」と言った時、みんなが「これから先どうなるかわからないけど今の事だけ考えよう、私達もできる限り手伝い助けるから」と言ってくれた時は心が軽くなり、自分もがんばって支えていかなくては、そして死んではダメなんだ、と思いが湧いてきました。
おかげ様で命は助けていただき手足は問題なく、聖マリで2ヶ月、リハビリ病院で4ヶ月入院生活を送り、退院後娘がフェニックス旭があることを調べてくれました。縁がありお世話になることになりましたが、フェニックス旭に1人で行くために道路を覚えられず車で送り、その後はバスで送り迎えしながら1人で行けるまでに。時間がかかりましたが、7年間通い続ける事が出来ました。
 
 お仲間の名前も出てきて家でもあれこれと話すようになりました(なるべく私の方から質問していました)。今は卒業し3年ほど経ちますが、おかげ様で今でもフェニックス旭のお仲間とのつながりがあり、おりしす会・ひまわり会と声を掛けていただき、会を通じ行動を共にしています。
 地域の人達との関わりが出来るのかいちばん心配していましたが、地域の方々からの声がかかり、麻雀2ヶ所・グラウンドゴルフ・ラジオ体操・夕方の散歩と楽しくやっています。もちろん主人の病気の事を知っている人も知らない人もいますが、同じように接してくれています。今はおりしす会や麻雀が出来ませんが、早く出来るようになるといいなと心待ちにしているようです。
 
支える側の家族の苦悩はとても大変です。それぞれ家族によって違うと思いますが、「私しか支える人はいないから、やらなくてはいけない」と思う心が強く、子供にはまだ幼い子があり手がかかるため、誰にもどこにも相談すらしませんでした。一生懸命やっているうちストレスで体調を崩してしまいました。唯一話を聞いてくれる人は私の友達でした。励まされ、愚痴などを聞いてくれ、話し相手になってくれました。とても感謝しています。
 
今まで作ったことが無かったことですが、7年間フェニックス旭にお世話になっている間、毎日お弁当を作っていました。お弁当箱は子供達からのプレゼントです。帰ってくると自分でお弁当箱を洗い、朝には空のお弁当箱が並べてありました。たまにはコンビニで買ってくれればありがたいけどと思う時もありましたが、それは叶うことはありませんでした。
今日でお弁当も最後という日はお赤飯を入れました。多分冷やかされながら食べるんだろうと想像はしていましたが、やはりそのようでした。お赤飯にしたのは私のお弁当作りが最後との思いと、これからの2人の次のステップの始まりの意味と、よく7年間ほぼ休まず通った労いも兼ねてのことでした。卒業式は家族はほぼ出席していない事は分かっていましたが、あえて所長さんお願いし出席させてもらいました。
フェニックス、アリアーレの人達、また職員の方々も名前もそこそこ分かってきて、お世話になった事の感謝を伝え、私も一区切りつけ次の人生を送っていきたい、との思いがありました。
 
これから先は、年もとって先が心配な部分がありますので、子供達に少し頼っていかなくてはならないかなと思い、私は少し力を抜いて過ごし、二人の共通の趣味の旅行、また孫の成長を楽しみにしていきたいと思います。私だけが支えるのではなく2人で支え合っていこうと思います。たぶん主人も今同じ気持ちだと感じています。家のことなり何か手伝わなくてはと思う気が伝わってきますが、ジャマだなと思う時もまた余計なことをして二度手間でイライラすることもありますが、なるようにしかならないと思うこの頃です。

元フェニックス旭利用者ご家族様 より